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May 2007

May 28, 2007

煌々と照る月のように凛とした


 週末にかけて、佐藤ひろ美姉さんの4thアルバム『Brilliant Moon』(特設サイトは、こちら)をずっと聞き続けています。今回の記事のタイトルは、そのCDの帯に書かれていたコピーの一部。

 このアルバム全体についてはいずれ記事を改めて語るつもりではいます。ですが、ここでどうしても言いたいことがあるんです!!


 それは、タイトル曲の「Brilliant Moon~月白炎~」が、もの凄く心を突き動かす素晴らしい曲だ、ということ。

 どちらかというと、すごく内面的な曲だと思うのですが、それに加えて、月白炎という情景がピッタリとマッチして、とても心の奥底に強く訴えかけるものがあるのです。
 限定版の方には、この曲のPVが収録されたDVDもついていますが、そのPVも曲のイメージをそのまま映像にした、といった感じで、とてもいい感じです。
 外で聴いても、夜空で月を眺めながら聴くというのはもちろん曲の雰囲気に合っているのですが、夜の街の雑踏の中で聴くのも意外とマッチしています。外の日常的な世界と曲の世界観とのギャップというか…、でもどこかつながっているのかも…。
 余りのお気に入り具合で、仕舞には、この曲だけをずっと繰り返しで聴いています。

 更に詳しいことは(…って、まだ語るんかい!?)、アルバム全体について語るときにでも。





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May 27, 2007

どんな場所で見ても、変わることなく・・・:お人形さんたちの発表会によせて(後編)

二重の意味でアウェイなイベント?

 ハイセンスな大人が集まる繁華街にある歌声喫茶で開催されたお歌の発表会の感想の続編です(前編はこちら)。
 前編でも触れたとおり、自分自身があまり目にすること無い合唱隊たちが多く出演する発表会であり、少しアウェイ感を感じつつ会場へと向かったのですが、そんなアウェイ感は自分だけの感覚ではないということを、最近いろいろとお声を掛けてくださるお人形保存会の方(・・・意味通じますよね。もっと上手い言い換えがあれば教えてくださいm(__)m)が教えてくださいました(教えていただいたのは正確には僕に対してではなくて、僕の「お友達」に対してなんですけどね(^^ゞ)。お話をいろいろ伺うについて、そして会場の中の人々を見るにつれて、いつもとはちょっと違うかも感が強くなってきたのでした。

 それはさておいて、今回は「各論」なので個々の合唱隊の歌の発表の感想を書いていこうと思います。

初めて見たアイドルユニットたちは・・・

 まずは、4つの人間の合唱隊についての感想です。今回のお目当てであるお人形さんたち以外は、すべて初めて見たものばかりですし、しかもいろいろ話を聞くにつれて(僕には)当然必要とされるバックグラウンドも欠けているのかなという気もしており、その意味では正当な評価になっていないのかもしれません。
 だから、何も知らずに、初めて見た人間がどう感じたか、という視角からの感想であることを理解した上で読んでいってくださいね。

  Feam
 カラオケと観客の盛り上がりに合わせて一生懸命声を出していた、という感じです。それ以上は、ここでは言えません。
  Survivё
 前に見た人たちと比べると歌になっていたと思うけど、今ひとつセンスを感じないな、と思いました。というのは、一曲目にしっとりした曲を歌ったのですが、これがちっとも心に残らず非常に凡庸。2曲目3曲目ではちゃんと(ファンの人たちが)盛り上がれる曲をもってきているのに、なぜ最初にあの曲を持ってきたのかがよく分からないのです。しっとりした曲を最初に持ってきても、曲や歌っている人に力があれば、充分引き付けることができるはず(自分にはその経験がある)なのに、それができていない、ということです。申し訳ないことですが、ステージ前が大きく盛り上がっているので、尚更頭の中で「?」が並びました。
  Chu!☆Lips
 ステージを見せるということでは初めて見た四つの中では一番安定していたと思います。前の二つと比べると、歌っている曲がキチンと自分たちのものになっていたような印象を受けました。正直言うと、自分の好みにハマるわけではないのですが、それでもステージからはその存在感を感じさせてくれたと思います。また、ステージの流れというか構成も違和感無く、結局最後まで興味が途切れることなく見通すことができたかな、と思いました。
  リトル☆レンズ
 この4つの中では、歌っている曲のタイプが自分の好みに一番近いかなと思います。ただ、曲には少し興味を持つことができたとしても、歌っている人があまりキチンと声が出ていなかったのがちょっと残念ですね。もしかしたら、今回はたまたま・・・だったのかもしれませんが・・・。

 以上が、初めて見た4つの合唱隊の感想です。ちょっときついこと書いちゃったかなとも思いますが、あくまでも何も知らずに初めて見ての感想です。それに、そもそも今回の発表会自体が、自分のような初めての人間を想定したような催しではなかったようにも感じます(って、そんなこと言っちゃっていいのかよ、という気もしますが・・・)。

 これだけ書くと、貶しているだけとも思われかねないので、ほんの少しだけフォロー(?)しておきます。正直言って、見に行く前までは、どれも所詮同じようなものに過ぎないかなとも思っていましたが、実際自分の目で見るとそんなことはありませんでしたね。(当然かもれませんが)よく見ればそれぞれの違いというのは感じることができました。ただ、その即自的な違いが対自的な違いに、つまり自覚的な個性として明確に打ち出すことが出来ているか、しかも初めて見る人に対してそれができるか、ということになると、差が表れているような気もします。
 そんなことも分かって、正直勉強になったな、と思います。

Cutie Paiは、というと・・・

 そして、肝心のお人形さん達のステージについてです。セットリストは、以下の通りです。

  1. Hello! Cutie Pai
  2. ファーブル恋の観察記
  3. Cosmic少女
  4. プラモガ
  5. 小っちゃな翼
  6. Yell~キラキラの魔法にのせて~
 「Cosmic少女」から「プラモガ」、「小っちゃな翼」と最近CDで出した曲を並べて、お人形さん達の現在を象徴した構成とも言えるかな、という感じです。「Cosmic少女」は、その前から歌っているので置いておいても、「プラモガ」「小っちゃな翼」は、今現在のCutiePaiの曲の中では。いろいろな人に知ってもらいたいほどの看板曲、とも言えるのではないかと思います。そういった意味では、無理のないオーソドックスな構成ですね。

 感想については、前編でも喩えを交えて示唆的ではありますが既に語ってはいますが、改めて述べれば、どんな場所であろうと、お人形さんたちが歌って踊るステージから伝わるものはそれほど変わらないな、ということです。伝わるものが変わらないというのは、決して、ステージ上で相も変わらず同じことをしている、ということではありません。むしろ、大切なものは一貫して守りつつも、(いつも言っていることかもしれませんが・・・)それをどう伝えるかについてはステージごとにいろいろと変えているからこその結果なのだ、と思います。今回の構成もそのひとつかな、とも思うし・・・。

 あと、先ほどのところでふれた「個性」という点でいえば、これほど自覚的な「個性」を明確に打ち出すことができているユニットはいないな、と改めて感じました。目の前で繰り広げられているステージは、そこにいる3体のお人形さん達でなければ実現できないものであり、そこで歌われている曲もまさに彼女達自身のものであるし、そういうものがとってもよく伝われるところが、僕がこのお人形さんたちを応援する1つの理由なのだと思います(これも、いつも言っていることかもしれませんが・・・)。

 もちろん、あくまでも僕自身の見方に過ぎないので、人によってはそうは見えないのかもしれないし、同じように評価されるとは限らないとは思いますが、でも僕がそう思っているということは譲れないのです。

貶して持ち上げる、というつもりはないのです~結びに変えて

 ということで、ようやく最後まできました。今回のイベントについて、ブログの記事としてまとめるのは、正直言って難しかったです。
 何となく、今回初めて見た4つの人間の合唱隊を踏み台にして、お人形さん達のことを持ち上げる、という構図になってしまい、そういう気分が全く無いわけではありませんが(…ってわざわざ言うところがバカ正直なんですよね)、別にそれに終始するわけでないので、いかにそのニュアンスを抑えるかというのが非常に苦労しました。
 お人形さんのこと以外は、一切語らないというのが、一番賢い選択肢なのかなと思いましたが、それはそれであまり面白くないし・・・。世の中を見れば、自分の方が少数派だと分かっていますので、せめてブログでぐらいは自由にモノを言わせてもらおうという気持ちで、できるだけ表現に気を使いながら、言いたいことを言わせてもらいました。
 この記事の内容に共感できない人であっても、(必ずしも好きとはいえない)いろいろなものを見ると、自分が本当に好きなものの良さが分かっていくという感覚は、たとえ立場が異なっていたとしても、理解してしただけると思います。立場を変えてみて、そんな感覚から書いた記事だと思って読んでいただければ幸いです。





[執筆:2007年5月30日23:00]





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カタカナ英語だけでネイティブ英語の中に入ると…:今日のお人形さんたちのお歌の発表会によせて(前編)

 …別に、立ち位置を逆に変えて、「英語圏からの帰国子女が受験英語にふれるとき」としても構いません(一応最初の方が、つつましいかな・・・とも思っただけですやはり変えない方がいいかなと思いました。詳しくは後にある追記分の文章で:5月27日)
 要するに、どちらも英語なのにとても同じ言語文化と言えるのか首を傾げたくなるようなものに出会ったシチュエーションというのを表しているわけです。
 もちろん、これは、あくまでも喩え話です。
 付け加えるなら、このカタカナ英語自体もまだ習いたてで、もともとは、最近まで同じヨーロッパ言語でもドイツ語を習っていた、という状況を付け加えると、この執筆者のより正確な心理状態を喩え話として表現できてるかな、とも思うのです。



 さて、何を喩えた話かというと、今日は、いつも素敵なお歌を歌って私たちを幸せにしてくれる、あのお人形さん達がお歌の発表会をしたのでした(・・・って、ここもある意味喩え話ですか・・・読んでくれている人ゴメンナサイ、ついてきて下さい)。
 しかも、毎月やっている電気街の集会場ではなく、ハイセンスな大人が集まる繁華街にある歌声喫茶で、いろいろな人間の合唱隊といっしょにお歌の発表会をするのです。いつもとは違う会場で、お人形さん達がどう素敵にお歌を歌うか楽しみに出かけたのでした。


 そして、その感想がこの喩え話です。最初の段落で解説した事が、会場に入って、お人形さんたちではない、人間の合唱隊の歌を見たときの感想です。お人形さん達のお歌の感想はというと、カタカナ英語でもネイティブ英語で確かにパッと聞くと違いがあるのかもしれないけど、同じ英語である部分もないわけではないのだから、こだわる事もないのかなと言うことでいつも通りに楽しんだのでした。


 真面目に語ろうとすると、とてつもなく大変そうなので、とりあえずこんな喩え話で示唆的ではありますがまとめてみました。どういう形になるかは分かりませんが、またいずれ改めて書くつもりですのでしばらくお待ち下さい。
(ここまでが2007年5月27日執筆)



 ということで、追記です(ここから、最後までが5月29日未明執筆)。とりあえず立ち上げた記事をどのように収めようか、迷いましたが、とりあえずこの記事では、最初に用いた喩え話を使って、今回のお歌の発表会について自分が感じた全体的な感想をまとめようと思います。

 初めのカタカナ英語とネイティブ英語の喩えについて、改めて考えるとこんなことも言えるのです。

 これはあくまでも「イメージ」に過ぎないのですが、カタカナ英語がどことなく野暮ったくてマイナーで、ネイティブ英語が洗練されてハイセンス、という格付けが、どこかに暗示されているかと思います。それを承知の上で、敢えて、お人形さんたちをカタカナ英語に、そして人間の合唱隊たちをネイティブ英語に喩えています。ただし、あくまでも喩え話として利用しているだけなので、決して、お人形さんたちが野暮ったくてマイナーだと思っているわけではありませんからね。

 そうは言っても、いつも自分が応援しているお人形さんたちをカタカナ英語に喩えるなんて、随分ひどいのでは、とも思われるかもしれませんよね。初めは、上でも書いたとおり、こちらの方がつつましいかなという謙譲の美徳からだったのですが、もう少し積極的な(?)意味も付与できるのかなとも思いました。


 カタカナ英語とネイティブ英語とについて、カタカナ英語ではネイティブ英語をは使う人と充分にコミュニケーションできない、ということが言われていたりしていると思います。その流れで、使えない学校英語が批判されたり・・・。

 しかし、最近読んだとあるコラムで、カタカナ英語でもキチンと使いこなすことが出来れば充分に意思伝達ができるはずだ、という趣旨の主張を目にしました。更に、そもそも英語というのは、それを使う世界中でそれぞれの流儀が並存しており、にもかかわらずネイティブ英語にこだわるのは、流行に流されるように、そのうわべを身に着けることで心理的安心を得ようとしているだけなのでは。というようなことも言っていました。日本語の中での、方言と共通語との関係にも似ていますが、もっとイビツなのかもしれません。自分が習ってきて使える範囲から英語を習っていけば、別にネイティブの発音や言い回しにこだわる必要は無いということです。


 これに引き付けて、今回のお歌の発表会の感想を改めてまとめると、まず自分の日頃親しんでいるカタカナ英語とネイティブ英語との文化の違いにちょっと戸惑ったというのは事実だったと思います。これには、新鮮な発見というのもある一方で、どうしてこれがあんなにも・・・と充分理解できなかったところもありますが・・・。

 そして、だからといって自分の親しんでいる「文化」について引け目を感じる(って言い方は正確じゃないかもしれませんが・・・)必要もないんじゃないのかな、とも思いました。細かな違いはあったとしても同じ言葉(?)なのだから、きっと伝わる部分も存在するはずだし・・・、また、その違いについても、それがその文化の特性であるとするなら、胸を張ってそれを大切にしていればいいのかなとも思いました(それを他の人どう受け取るかは人々の考え方次第ではありますが・・・)。パッと見では、素朴すぎて派手さは無いのかもしれませんが、使い方によってはぎっしりと中身を詰め込み、更にそこからキラリと光るものすら出すこともできる可能性を賭けてみたい、という思いもカタカナ英語という喩えには込められているのです。


 あと、そういえば、どこか競輪場でのお歌の発表会での思ったこと(こちらこちら)とも通じているような・・・もしかしたら、結論が裏返されるのかもしれませんが・・・。


 ということで、ひとまず大きく広げすぎてしまった風呂敷を一度畳もうと思います。とりあえず、今回の記事は総論ということで、今回のお歌の発表会の全体的な感想を語ったということにしたいと思います。

 次の記事では、各論ということで、今回の発表会で見た様々な合唱隊の感想と、肝心のお人形さん達のお歌の感想を語りたいと思いますそして、最後に、それらを書いていくことで膨らんでいったことをまとめていくつもりでいます。
 だけど、こうやって構想を立てても、その通りに行かないのがこのブログのお約束になっていますけどね・・・。後編はこちらになります(ちゃんと完結させることができました\(^o^)/:5月30日追記)。






p.s.コメントでもお返事を差し上げましたが、Red Queenさん、コメントをありがとうございます。勿体ないくらい素敵なコメントをいただきましたが、今回追加した分の文章がそのお言葉を損なっていなければいいのですが・・・。ちょっぴり不安です(^^ゞ。





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May 20, 2007

天使達が縦横無尽に宇宙(そら)を駆け巡る~ルーンエンジェル隊 3rdコンサート

 日本青年館で17時から開催された、ルーンエンジェル隊の3rdコンサートに参加してきました。そこそこ前の方の列のチケットが手に入って気分が盛り上がり(詳しい経緯はこちら)、約一ヶ月前のプレミアムコンサートを見て期待が更に膨らみ(詳しくはこちら)、この日を迎えたのでした。

 結構期待満々で会場に入ったのですが、実は、チケットに指定された席に座ったら一度気分が萎んだんですよね。何故かというと、前の方の席なのは良かったのですが、本当に端っこの席だったからです。事前に分かっていたことではあるのですが、実際に席についてみると、思っていた以上に端っこ感が強すぎて、ステージ全体が見えないんじゃないかと思ってしまうほどでした(実際、舞台の後の方のセットの半分が見えなかったし・・・)。

 でも、実際にコンサートが始まった瞬間に、そんなことはちっとも気にならなくなりました。ルーンエンジェル隊の5人が、広いステージをものともせず自由自在に動き回ってくれたおかげもあるし、何よりそういった些細な気分を吹き飛ばしてくれるほどの圧倒的な存在感を彼女たちは見せてくれたのだと思います。凄くシンプルなんだけれど中身はぎっしりと詰まっていた、という感じでした。余分なことは抜きにして、目の前のステージを夢中になって楽しむことができました。
 この辺りが、佐藤ひろ美プロデュースということによって、それまでとは変わったところなのでしょうね。歌って踊るルーンエンジェル隊のパフォーマンスを存分に魅せる、そして、その姿に観客が応える、そうやって会場を盛り上げる・・・凄くシンプル、とは言ったけど、それを実現するためには様々な仕掛けが凝らされていて(・・・それは自分が気づかない所にもあったはず)、しかも、これだけ大きな会場でそれがビシッと決まると気持ち良いですね。そういう意味で、ゲーム・アニメ発の声優ユニットの持ち味を生かしながらも、その枠を超えているとも言ってもいいような・・・(っていうと、ちょっと褒めすぎ?!)。

 ルーンエンジェル隊のメンバーである声優さんのうちの特定の誰かの熱心なファンというわけでもない(敢えて言えば・・・というのはありますが・・・)のですが、1つのユニットとしてこれからも注目していきたいな、と思います。根拠は無いけど、4thもきっとあるんじゃないかなと思うけど・・・。楽しみにしてよっと!!






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日曜日には、アキバへ行くの(その4)~久しぶりに見る・・・

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 東京にもアキバに来るのも一週間ぶり・・・というか、先月も含めれば何度も訪れていますが、ここしばらくの間できなかったことが一つだけあります。今日は、充分とはいかないまでも、それなりに時間があるから、是非とも今度こそは・・・と思っていたのですが・・・。

 さて、しばらくぶりにするものというのが何かというと、それはストリートライブを見ることです。お目当ての方のストリートライブを見るのは、結構久しぶりになるんじゃないかと思います。アキバに来てもストリートライブを見る時間的余裕がなかった、とか、時間的余裕があったとしてもお目当ての方がやっていなかった、とか理由を挙げればキリがありませんが、そういうのも含めてストリートライブの縁というものかもしれませんね(運がよければ、毎回行くたびに、目にすることができる場合だってありますからね)。

 ということで、今回お目当てのアーティストさんは、。小比類巻里澄さん。
 (僕の方から、こういうことを書くのはどうかとも思うのですが・・・)以前このブログで里澄さんのことを書いていたら、ご本人様からわざわざコメントをくださいまして(こちらをご覧ください)、是非ともまたもう一度見たいと思っていたのです(・・・こう書くと、コメントをくれたから見るつもりになったのかと思うかもしれませんが、そんなことはありませんよ。ずっと行きたいと思っていたのですが、本当に巡り合せがしばらく悪かったのです)。

 今日のストリートは、小比類巻里澄さんと岡村淳子さんと二人で二曲ずつ交代で歌っていらっしゃいました。

 里澄さんの方は、カバーの曲が一曲と、オリジナル曲の「charismatic」を歌っていました。しばらく見ない間に、「charismatic」の手拍子が更に一層盛り上がるようになっていますね。それだけ、この曲が彼女の曲として、見ている人々の間で、お馴染みの曲として定着したということなのでしょうね。
 歌っている本人の姿も、以前見たときと比べて、堂々とした風格みたいなものもついてきたような・・・。ベタで既に言い尽くされている表現かもしれませんが、この曲を歌っている彼女自身にcharismaticなものを感じました。すごく小さくて可憐な女性なのですが、歌っている姿は、どこかそういった凛凛しさを感じずにはいられません。
 予定が合えば、是非一度ライブハウスに足を運んでみたいと思っているのですが・・・きっと近いうちにその機会が訪れるかとは思うので、その日を期待することにしたいと思います。今日は、ライブのDVDを購入したので、それまではそれを見て楽しもうと思います。

 もう一人、岡村淳子さんのストリートライブを見るのは、今回が初めて。4月21日(?)から始めたと何度もおっしゃっていましたので、始めてから一ヶ月といったぐらいですね。
 彼女は、1st シングルに収められている二曲を歌っていました。「Fly」という曲は、テンポのいい曲で、「Orange」という曲はふんわりとしたやさしい感じの曲で、どちらも聴いていて耳にすんなりと馴染む感じで、割といい感じかも、と思いました。

 そんな感じで、(次の予定の時間となる)4時過ぎまでストリートライブを見ていました。久しぶりに、里澄さんのストリートライブが見れて、よかったなと思いました。





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今週も…

今週も…
 北海道大物産展かぁ…(右側の垂れ幕を御覧アレ!?)。時間があれば覗いてみるかな?

 って、ポイントはそこじゃなくて、今週もやってきました、夢の都TOKYOへ。
 今週は、天使達の音楽会がメインの予定なのですが、他に何をしましょうかねぇ…?

 今日はいい天気になりそうですね。

 とりあえず、朝風呂と朝食です。

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May 19, 2007

自己紹介というのが・・・

非常に苦手な人間です(^^ゞ。 自分のことを語ること自体が苦手というのもありますが、一言で明確に説明できる特徴が存在しないというか、そんなものに自分が納められることに抵抗があるというか・・・。 ・・・要するに、自分でも良く分からない、のです。

 ・・・というのは、このブログのプロフィールページからの引用。つい最近までは、最初の一文(つまり「自己紹介というのが非常に苦手な人間です」)としか書いてありませんでした。さすがに、これだけだと、内容も内容だし、素っ気なさすぎ、ということで、言葉を付け加えましたが・・・。
 要するに、自分のことを、自己紹介という改まった場(?)で自分から積極的に語ることが、非常に苦手なのです。一体何を語ったらいいのやら・・・。ということで、未だに試行錯誤中のこのブログらしく(^^ゞ、これについても少しずつ作っていくつもりでした。

 それはそれとして、僕のネット上の居住地(?!)の@niftyさんから、新しいプロフィールサービスとして、「アバウトミー」というサービスが始まりました。
 このサービスの全体像をまだ完全には理解しきっていませんが、質問に答えていくのが結構面白いです。自分で何を語ったらというのを迷ってしまう自分にとっては、与えられた質問にお手軽に(しかも楽しく!!)答えていくことがでくるというのは、都合のいいことです。時間を見つけては、質問に答えています。
 果たしてこれで自己紹介になっているか?、というと、正直言うと疑問ですが、でも自分が楽しめるからアリかな、と思います。

 このブログの右サイド上方にブログパーツとして設置してありますので、そちらから僕のプロフィールページへリンクされています。よろしければ、ご笑覧くださいませm(__)m。ちなみに、このブログの従来のプロフィールページについても、気が向いたら書き足していくつもりです(^^ゞ。


 でも、自分としては、このブログの記事を読んでいただけば、自分のことを最も理解できる・・・、そんなブログにしたいと思っているのですけどね。

 


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May 13, 2007

涙の価値は… ~Cutie Pai:Live at yamagiwasoft "777" vol.5~

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 秋葉原のヤマギワソフト・アニメ館4Fイベントスペースで開催される、Cutie Paiによる月1イベント、Live at yamagiwasoft "777"。今月は5月なので、当然5回目ということになります。

 また、今月はチッチの誕生月。チッチが泣くかどうか、という勝負もありました。でも、最初に会場全体で、ハッピーバースデーを歌った所で、勝負が決まりましたね(;^_^A 。
 でも、このバースデーサプライズの本当の盛り上がりは、きわサンによるチッチへのお手紙の朗読と、まゆちゃんによるバースデーソングの披露のところでした。きわサンによるお手紙は、チッチがCutie Paiに加入する経緯や、普段から仲のよいきわサンだからこそ言えるチッチの素敵なエピソードも明らかにされて、とっても胸を打ちました。チッチだけでなく、横で聞いていたまゆちゃんも感極まっていたような気も・・・。まゆちゃんによる歌も、まゆちゃんがチッチのことを思って作った曲らしい、とても暖かみのある曲でした。
 そして、今回の勝負はというと・・・、勝負なんてどうでもよくなった、という、まゆちゃんの言葉が 僕にとっては正解だと思いました(正解なんてものは、無いのは分かっていますが・・・)。だけど、その一方で、とことん勝負にこだわっている素振りを見せるきわサンも、きわサンらしいなと思うけど・・・それが彼女なりの優しさというか、何というか・・・。
 とにかく、驚く、驚かないとか泣く、泣かないとか、そういう次元を超えた内容だった、ということです。


[セットリスト]
1.Hello Cutie Pai!
2.恋の季節と君と僕
3.Cosmic少女
4.小っちゃな翼
5.プラモガ
6.Switch
7.こんなきわサンですが、ヨロシクね♪
8.Yell


 新曲の「こんなきわサンですが、ヨロシクね♪」は、きわサンが一人で歌う、Cutie Pai始まって以来の(いい意味での)馬鹿ソング。曲に入る前にコールの練習をしたのですが、そのコールの中身もきわサンらしくて、(いい意味で)いっちゃった感じです。実際にやってみても、(いい意味で)あっけにとられて、ぽか~んな感じです。
 ・・・と、「いい意味で」という言葉が連発されていますが、決して無理やりのフォローなんかじゃありませんよ。根本がしっかりしているから、こういう曲をやってもグダグダなだけで終わらないんですよね。むしろ、落差を感じて楽しめるわけです。でも、正直に言うと、(いい意味で・・・って、しつこいよっ!)完全にはちょっとついていけなかったかも・・・(というのは、イベント当日時点での感想です)。
 でも、楽しい曲であることは事実です。CDで聴いたら、また更に一層楽しめるかなとも思います。


 あと、「Switch」。この曲を再び見る事ができるとは思いませんでした。

 二人だった頃にはよくやっていた曲で、僕にとっては、「Tokyo Refrain」と並んで、マッキーの存在感を非常に感じさせていた曲でした。「Tokyo Refrain」の方は、3人でやっているのを見たのですが、「Switch」が出てくることは今までありませんでした。
 だから、もしかしたら、もう二度とステージで歌われることはないのかもと思っていました。こういう言い方が適切なのかは分かりませんが、CutiePaiの中のメジャーな曲の中で、現在の3人によって歌われてこなかった最後の一曲だったと言えるかもしれまえせん(といっても、マッキーまゆちゃんの時代のCutie Paiをそんなに長く見ているわけではない自分が、こういうことを言う資格があるかどうかは分かりませんが…)。

 そんな曲を、まゆちゃんとチッチの二人で歌います。こうなると、必然的に昔マッキーが歌っていたパートがチッチが担うことになるわけで、正直言って、大丈夫なのかという(余計な)心配も沸いてきます。イントロの所の振り付けで、まゆちゃんに抱きつくところとか、そのあと股をくぐる(と書くと凄い表現になりますね^_^;)ところとか、マッキーだからできていたと思われるような所が結構あったと思うし・・・。

 ・・・で、結果はどうかというと、まず、大きな違和感はなかったと(僕は)思います。少なくとも、「こんなの『Switch』なんかじゃない」ということにはならなかったと思います。先ほど具体的に挙げたところも、割と無難にこなしていたようにも思うし、最後まで見て、これなら十分いける、と思いました。
 現在の3人バージョンの「Tokyo Refrain」を見たときと同じような感想と言えるかな。そのときの記事が、こちらですが。ずいぶんと大げさな表現を使っていますね。思いとしては、それほど変わらないけど、「Tokyo Rfrain」での体験があったので、あのときほど思い詰めた感情は沸きませんでした。
 特に、今回の「Switch」の場合(「Tokyo Refrai」とは異なり)、マッキーの抜けた存在感をチッチ一人で引き受ける形でしたが、そのミッションを十分に果たしたと思います。位置的に、まゆちゃん、きわサンにどこか守られてというふうにも感じさせるようにもなってはいるけど、彼女は実はものすごくできる娘なんじゃないかと改めて感じました。もともと平均点が高いのですから、Cutie Paiの場合は。あまり期待しすぎたら、プレッシャーになるかなとも思っていましたが、もっともっと期待してもきっとやってくれるはずと思い直しました(でも、無理はしないで欲しいけど・・・)。
 それを踏まえて、今回の「Switch」の感想の結論を言うと、是非もう一度見てみたいということになります。そのときには、マッキーのやってきたことを単になぞるだけでなく、チッチらしさもより一層打ち出せるような形でやってほしいと思います。いままでも充分できているけど、きっと、もっとできる、そう思うのです。

 ということで、今回のイベントは、3人の個々のポテンシャルの高さ(特に、チッチ)を感じさせてくれました、それと同時に、3人の絆の深さを感じることもできたと思います。 


 次回は、6月24日(ヤマギワソフトのページだとこちら、あとCutie Pai Official Web Siteには「777イベントページ」もあります。次回のお知らせも出ていますね)。折り返し点になる次回は、CDが二種類リリースされるそうです。いつものシングルとして「雨のLove Song」というタイトルが発売されます。どうやら、今度はチッチのソロ曲のようです。もう1つは、限定40枚のミニアルバムです。そのせいか、少し間隔が空いてしまいますね。ちょっと寂しいかも・・・。


・・・ということで、とりあえず暫定版が出来上がりました。
もしかしたら、また気づいたことを書き足すかもしれませんし、別個の独立した記事にするかもしれません。
【5月13日17:29】

 そういえば、タイトルなんですが、すっかり投げっぱなしな感じになってしまっていますね。前回のイベントもそうですが、頭に思い浮かんだ言葉をタイトルにしていますので、その点をご理解ください。解説すると、・・・やっぱり今の時点では止めておきます。「涙の価値は・・・」のあとは、皆さんで付け加えてください。
 あと、ちょっと文言をいじっています。そのままでは、意味が通っていないところも多々ありましたね。ニュアンスも少し変えているところもありますが、「暫定版」ということでご理解くださいm(__)m。【5月14日7:32】

 いつまでも「暫定版」にしておくのもどうか、と思いますので、その言葉を消すことにさせていただきます。ひとまず、完成稿ということにさせていただきます。【5月16日1:50】



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May 12, 2007

ココハドコ?

ココハドコ?
 急なオトナのお使いで、この西の都へやってくることになりました。西へ東へと急がしくなりそうな、この週末。こういうことがキライじゃないから、ちっとも苦になりませんけど…。

 ひとまず用事は片づいたので、あとは自由に使える時間デス。あまり余裕はありませんが、色々やりたい事はあります。でも、この日にココに来たからには、是非ともやっておかなければならないことがあります。まずは、そいつからですね。


 それにしても、こちらのJRでもモバイルSuicaが使えるのは、とっても便利ですね。…と言っている自分が、ちっとも使えないToicaエリアの住人であるところが、奇妙なところかも…。


 この写真だとどこだかちっともわかりませんよね。真ん中に小さく見えるお城がヒントのつもりだったのですが・・・。あとは、西の都という言葉かな?  それはともかく、モバイルSuicaは便利だったぁ~。ちなみに地元のToicaは持っていません。

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May 11, 2007

「『キューティーパイ』萌え萌えライブ」再論、または、私的「萌え」論序説 番外編~ケーススタディ~



 さてさて、辺境の地の森の中で、ひっそりと営んでいるこの養蜂場。訪れる人も少なく、商品を購入してくれる人(=コメントを残してくれる人のことです)は更に少ないのですが、それでも毎日やりがいを感じて、この養蜂場を営んできました。
 そんな中で、この養蜂場始まって以来の大注文が舞い込んできたのです。今まである商品では、その注文には対応できないので、改めて新しく商品を開発することにしたのでした(・・・って、何をどう比喩しているか、分かりますでしょうかね・・・巧く表現できなくてゴメンナサイ、別に分からなくても、本文を読んでいただければ事情は把握できるかと思います)。



はじめに~この記事が生まれる経緯~


 さて、今回の記事は、5月1日に行われたCutie Paiの競輪場でのイベントについての感想の再論になります。具体的には、イベントのタイトルに入っている「萌え萌え」および「萌え」という言葉をめぐる考察になります。


 まず、この記事を書くに至ったのかについて、その経緯を説明させてください。はじめの前書きだけでは、訳が分からないでしょうしね。
 あの日のイベントの感想は、「『萌え萌え』とかじゃなくて」というタイトルで書きました。イベントタイトルを全否定しかねないような記事のタイトルを付けたことに、ちょっと不安を覚えましたが、記事の内容と合わせれば決して(僕の意図が)誤解されることはないはず、と思っていました。

 ただ、「萌え」という言葉については、自分なりのスタンスを固めておく必要があるのかな、とも思って書き始めたのが、「私的「萌え」論序説(1)~はじめに~」という記事になります。こちらは、自分が好きなもの(Cutie Pai)に対して修飾する言葉を(本能的に)拒んでしまった「萌え」という言葉をめぐって、いろいろ考えようとする連載企画です。


 こうして、「『萌え萌え』ライブ」をきっかけとして、一連の記事を投稿したら、思いがけない反響をいただきました。「私的「萌え」論序説(1)」に対して、紅薔薇さんから、大変充実したコメントをいただきました(こちらをご覧ください)。お返事でも書きましたが、訪れる人の少ない辺境ブログに頂くには勿体ないほどの内容です。直接は、「私的「萌え」論序説(1)」へのコメントなのですが、内容的には、Cutie Paiと「萌え」という言葉との関わりが主たる内容になるかと思われます。それに対してキチンとお返事しようとしたら、独立の記事になるほどの分量になりそうなので、こうして新たな記事として論じてみることにしました(それ以外の部分に対するお返事だけでも、随分な分量になってしまっていることだし・・・)

 ということで、5月1日のCutie Paiのイベントについて、前回の記事(「『萌え萌え』とかじゃなくて」)を投稿してから考えたことや、頂いたコメントを踏まえてもう少し考えてみたことを書いてみようと思います。

 最初に書いたとおり、イベントのタイトルに入っている「萌え萌え」および「萌え」という言葉をめぐる内容です。既に終わってしまったイベントのタイトルについて、こうしてこだわっているのも、正直言ってどうか・・・とも思います。タイトルなんて、「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」・・・なんてことを言われてしまうかもしれません(^^ゞ(・・・別に僕は偉い人じゃないけど・・・)

 もう1つ、「私的『萌え』論序説」の番外編としての位置づけもあります。まだ「萌え」について本格的には何も論じてはいませんのに、いきなり番外編というのもおかしな話かもしれません。ただ、スタンスがまだ明確になっていない今の段階で、「萌え」という言葉に対して自分が感じることを、きっかけとなったCutie Paiのイベントからを考えるのも、無駄ではないと思うのです。ですから、Cutie Paiのイベントをケーススタディとして、萌えに対する自分の暫定的なスタンスを明らかにしておく、という目的も付与されるわけです。


 以上、今回の記事が生まれる経緯を説明しました。Cutie Paiによるライブと「萌え萌え」または「萌え」という言葉との関わりについて論じていきます。ここでの問題を、2つに整理してみました。1つは、Cutie Paiに「萌え」という表現を用いることは、はたしてアリなのか?もう1つは、「萌え萌え」とかじゃなければ、いったい何なのか?・・・ということになります。




出発点としての「萌え」


 ここで考えるのは、Cutie Paiに「萌え」という表現を用いることは、はたしてアリなのか?・・・ということです。

 といっても、そもそも、そんなことは誰かが裁断するような問題ではないので、あくまでも僕にとってアリかどうかということになります。しかも、その結論自体よりは、その結論に至るまでどう考えたかを(読んだ人には)評価してほしい、とも思います。更に、
Cutie Pai一般というのは荷が重過ぎますので、今回のイベントに絞って考えていくことにさせていただきます。


 さて、実は答えは既にタイトルに出してあります。「出発点としてならアリかも・・・」ということになるかと思います。


 今回のイベントのタイトルを初めて知ったのは、会場となる競輪場のサイトでした。この言葉を見たときは、「萌え萌え」という言葉に凄く複雑な気持ちを感じましたが、それでも、分かりやすさを考えると、まぁこういう表現になるよなぁ・・・とも思いました。
 この言葉に具体的にどんな意味が含まれているか、と問われると非常に困るかもしれませんが、それでもこの言葉に何らかの勢いが含まれていることも事実だと思います。だから、その言葉によって人々が興味関心を引き付ける何かがあるのかもしれない、と期待することは、決して間違っていないのかも・・・と思います。

 あの会場で、「萌え」という言葉が人を引き付けるというのか、という問題はあるかもしれませんが、逆に、ああいうアウェイな会場だから有り得るとも思います。例えば、アキバで「『萌え萌え』ライブ」と銘打っても、そのタイトルだけで、果たして人を引き付けることが出来るでしょうか?「萌え萌え」なもので囲まれている場所で、そんなタイトルを掲げてもインパクトが弱いだろうし、かえってそのセンスが疑われると思うのですが・・・。

 あと、これは消極的な理由になるかもしれませんが、「萌え萌え」という言葉以上に多くの人を引き付けるタイトルがあるのか、という側面もあります。私は、今のところは、思い浮かびません。


 だから、「出発点としては」アリなのです。




 しかし、「萌え萌え」という言葉によって、ある程度の人々を引き付ける可能性が期待できる一方で、その言葉によってかえって反発する人々もいることも事実だと思います。それは、「萌え」という言葉に対して、どこかネガティブなイメージを持っている人々です。
 コメントを頂いた紅薔薇さんの発言によると、

 結局『萌え』といった言葉を使った瞬間に物凄くそのモノの価値が安くなってしまうような気がするのです。恐らくその辺の意識が彼女達を『萌え』と呼ぶことに対する嫌悪感になって現れていると思うのですが…

とありますが(こちら)、これはそういった人々の思いを的確に表現していると思います。


 こうしたスタンスを説明するのに、これ以上の言葉はないかもしれませんが、僕の場合で説明すると、こうしたことも感じました。

 もし、知らない誰かが、こうしたタイトルでイベントをやったとしたら、例え無料で時間的余裕もあってすぐ近くの場所で行うことを知らされても、それに行くことはあまりあり得ないな、と思います。もし、何かのそのイベントに参加したとしても、かなり懐疑的な思いを抱きながら見始めることになるかと思います。

 何故かというと、紅薔薇さんがおっしゃるような、「萌え」という言葉に含まれる安っぽさというのもありますが、もう1つ、外から与えられる「萌え」への違和感というのもあります。今回の場合、更に「萌え萌え」と、言葉を二つ重ねた言葉がタイトルとしてつけられることによって、どこか感情を押し付けられるような感じもするのです。


 これはこれから考える必要があるかもしれませんが、本来「萌え」というのは、自分が内発的にその対象から見出していくものだったですが、その言葉が流行して定着してしまうと、自ら見出す前に既にその言葉がレッテルとして貼られてしまっている、という側面があります。そうなってしまうと、自分の中から沸き起こる感情を表す言葉としての「萌え」と、いう本来の勢いを持った意味合いから外れて用いられて非常に強く複雑な思いを感じさせたのかもしません(おそらく、こうした使われ方が増えていっていることも、「萌え」という言葉が安っぽくなった言葉になっていまっている理由なのかもしれませんね)。


 こうした場合、「萌え」という言葉でネガティブな印象を与えてしまうのかもしれません。しかし、この言葉はあくまでも出発点に過ぎないと考えれば、別に、それほど深刻なことではないのかもしれない、と言うことができます。この言葉で足を向けなくなってしまうとすれば残念かもしれませんが、これについては他にどうしようもできないと思います。
 しかし、少なくとも違和感を持ったとしても、実際のステージを見れば、「萌え」という(こういった人々にとっての)ネガティブなイメージを吹き飛ばす可能性があると思うからです。ただ、こういう人々があの会場にそんなにいるのか・・・というと、皆無とは言いませんが少ないとも思います。そこまで「萌え」という言葉について真剣に考える人なんていないんじゃないかとも思いますし・・・。


 以上を踏まえると、タイトルの「萌え」というのは「出発点としてはアリ」ということになるのです。いろいろな足し引きをしてみたら、決してマイナスではなかったのかな、とは思うのです。ただ、あくまでもそれは出発点での話に過ぎないという評価です。それで、ある程度興味関心を引き付けるのであればラッキーだし、そうでないとしても、それはあくまでも入口に過ぎず本質部分じゃないから決して深刻ではないとも思います。
 ということで、出発点とか入口といったところから、どの本質部分へと話が移ることになります。そこでは、「萌え」という言葉はどうなるのかということは、次の項での話になります。




「萌え萌え」じゃなくて・・・再論


 Cutie Paiのライブに「萌え」という言葉を使うのは「出発点としてはアリ」だとは思います。しかし、Cutie Paiのステージの中身を表現すると、やはり「『萌え萌え』じゃなくて」という言葉を僕は選びたいと思うでのす。「萌え萌え」じゃなければ、何なのか?、というのがこの項の課題ですが、その前提として、Cutie Paiは何故「萌え萌え」じゃないのか?という問題もあるかと思います。それを踏まえたうえで、「萌え萌え」じゃなくて何なのか、ということを論じていこうと思います。

 このあたりについて、前の記事ではこう言っています(最後の方の段落です)。

 (会場の人々の心のどこかに刻まれるものがあったとしたら)それは「萌え」という今流行りの記号によって導かれた訳ではなく、毎回毎回のステージに際して、当たり前のことを手抜きなくしかも無理なく追求していったことの結果だ、とも思いました。

 実は、あの記事では、自分としてはこの一文が一番言いたかったことなのですが・・・。この記事では、この一文をもう少し詳しく説明していくことになるかと思います。


何故「萌え萌え」じゃないの?

 まず確認しなければならないこととして、「萌え萌え」じゃないと言っても、CutiePaiを否定的に見ているわけではありません。これは大丈夫ですよね。

 次に、Cutie Paiに萌えが全く見出すことが出来ない、というつもりもありません。これはどうでしょうか。「『萌え萌え』じゃなくて」なんて言い切ってしまったから、もしかしたら、そうは思っていいただけないかもしれませんね。
 その辺を巧く切り抜けるとすると、「萌え」というものが積極的に用いてこなかったような人間が、そもそも「萌え」が見出すことが出来るかどうか、なんて判断できるはずがありません。・・・といって逃げる切ることが出来るかどうかは分かりませんので、もう少し続けましょう。「萌え」が見出すことが出来るかどうか、なんて人それぞれの判断でしかありません(・・・というのも逃げですよね(^^ゞ)。ですが、世間一般的に言われていることをある程度踏まえて、自分が敢えて判断したとしても、いわゆる「萌え」の要素はあるとは思います(「萌え」を充分理解したとはいえない自分が言ったとしてもあまり説得力はないのですが・・・ということは承知の上で言っていることとご理解ください)。

 ただ、その要素を「萌え」という言葉の方向に持っていって表現しようとは思わないのです。たとえ、客観的にみて「萌え」要素があったとしても、主観的には「萌え」という言葉を使って、Cutie Paiのことを語ろうとは(現時点では)思わないのです。これが、Cutie Paiの本質部分における、第一の主張です。


 それでは、Cutie Paiを語るのに、何故「萌え」という言葉を使わないのか、ということが問題になると思います。それは「萌え」という言葉では、その素晴らしさを語るにはあまりにも頼りなさ過ぎるからです。

 「萌え」という言葉は、現時点で世間一般的に明確な意味を持っている言葉ではありません。また、この言葉を使う個々人にとっても、必ずしも明確な意味を持って使われている言葉というわけではないことも多いと思います。雰囲気的には、多くの人々を引き付ける勢いを持った言葉かもしれませんが、その具体的な中身については、明確で普遍的なものを見出すことが非常に難しいと(現時点では)思います。そんな不確かな言葉なんかでは、この素晴らしさを語ることはできないのです。これが、第二の主張になると思います。


 ただ、不確かな言葉であると思っているのは、「萌え」という言葉をキチンと理解していないからだ、という可能性はあるかもしれません。普遍的に通用する形で、もしくは僕個人が充分納得できる形で「萌え」という言葉に明確な意味を付与した上で、この言葉が使えないかどうか・・・というと、もしかしたら使うことが出来るかも・・・という可能性はあるかもしれません。そこは、もう少し考えようと思います。


「萌え萌え」じゃなければ、何なの?

 自分にとって、Cutie Paiの素晴らしさは、「萌え」という不確かな言葉で表すことができない、というか、表してはいけない、と思うのです。だとしたら、どうやってその素晴らしさを語るのか、ということになると思います。

 逃げるわけじゃありませんが、現時点で、これだ、と明確に言い切れる回答はありません。それを語るにはまだまだ未熟だと思います。このブログでこれまで書いてきたことと、これからいろいろなイベントを見たり、CDを聴いたりすることによって、それを具体化し明確にしていきたいと思っています。


 ・・・なんて言っていると、とても優等生でありきたりな発言で終わってしまうので、今回のイベントを素材にして、もう少し踏み込んでみたいと思います。


 「萌え」という不確かな言葉では、その素晴らしさは説明できない、と書きましたが、こう書いてしまうと、Cutie Paiの素晴らしさというのがどこか非常に特殊なところにあるような書き方になっているところもあります。あまりこういう方向に行き過ぎると、Cutie Paiだけが、他とは異なる特別な存在だという位置づけになってしまい、語っていて独善的になりそうな感じもします(・・・語っている僕自身が独善的になる、ということです)。

 しかし、僕自身は、決してそんな形を望んでいませんし、そうならないような形で表現しようと思っています(「萌え」という言葉に頼らないのも、そういうことがあるのかも)。できるだけ、自分が受け取った感動を、できるだけ広く普遍的に理解可能な形で表現しようと思っているのです。なかなか難しい課題だと思うし、上手く言っているかというとまだまだだと思いますけどね。


 そんな意識も背景に持ちながら、先ほど前の記事から引用した言葉で言うと、「毎回毎回のステージに際して、当たり前のことを手抜きなくしかも無理なく追求していったこと」というのが、Cutie Paiのステージの素晴らしさの本質の一端なのではないか、と思います。ここでいう「当たり前のこと」というのは、歌と踊りを通して目の前にいる人々を楽しませること、だと言えます。

 今回のイベントでは、その部分に関して、Cutie Paiというのは非常に柔軟性があるな、と思いました。いつもとは異なる客層というか雰囲気を持っていたイベントだったからこそ、それを見ることができたと言えます。端的には、曲の選択に表れていましたが、それだけではありません。

 凄く些細で、僕が読み込みすぎなのかもしれませんが、あのステージでは、「私たちは、見ての通り、お人形です」というお決まりの自己紹介を一切使わなかったことにも表れていたのでは、と思うのです。「萌え萌え」というのを追求するなら、あのセリフはアリというか必要とも言えるかもしれませんが、(いつものライブハウスでなく)あの会場で歌と踊りのステージで目の前にいる人々を楽しませるという目的にとっては、必ずしも必要なセリフではないと思います(むしろ邪魔・・・というと言い過ぎかも知れませんが、たぶん出てきたら引いてしまうかも)。どういうつもりで使わなかったかは、本人たちでなければ分かりませんが、「新人アイドル」(新人ねぇ・・・、という思いもありますが[笑])という分かりやすい言い方で自己紹介したところに、初めて目の前で見てくれた人々に対する柔軟な誠実さが表われていると思います。

 こう書くと、単に客に媚びているだけなのじゃないのか、という意地悪な見方も出てくるのかもしれませんが、決してそうではありません。今まで見たことがないようなタイプの雰囲気に合わせながらも、きちんと自分たちのスタイルも維持できる形で、ステージを作るあげることができているのが、Cutie Paiだと思います。だから、あの日のイベントは、いつもと違うところがあったとしても、やっぱりいつものCutie Paiと同じように充分楽しむことができたと思うのです。


 このように、毎回毎回のステージに際し、見に来てくれた人を幸せにするという当たり前のことを手抜きなくしかも無理なく追求していることが、「萌え萌え」という言葉を超えた、Cutie Paiの素晴らしさである、というのが、現在の暫定的な結論であると言えるでしょう。




結びに変えて


 「萌え萌え」という言葉とCutie Pai。入口としては「萌え」という言葉はアリだとは思います。ただ、Cutie Paiの素晴らしさの本質を、この言葉に頼っていては言い尽くせないと思うのです。「萌え」という言葉は、本当に素晴らしいものを語るには、あまりにも頼りなさ過ぎます。そして、Cutie Paiは、そんな頼りない言葉を用いるのではなく、確かで普遍的に表現な可能な言葉で表現していきたいし、こうした表現で表されるべき要素こそがその素晴らしさの本質だと思う・・・これが、今回の結論になります。


 ということで、ひとまず最後まで議論を持ってくることができました。まだまだ充分伝え切れていない点は多々あります。ですが、またどこかの機会で、こういった内容を語ることがあるかと思いますので、その時にはもっと洗練した議論をしたいと思います。
 もともと、最初の記事を投稿した後で、「『萌え萌え』じゃなくて」何なのか、という点については追記しておこうかとも思っていました。こういった形で、独立した記事になったのは、紅薔薇さんによる充実したコメントのおかげです。頂いたコメントから多くの着想を得てはいますが、今回の記事における考えの責任はあくまでも自分にあります(こんなに長くなったのも、ひとえに僕の責任です)。改めて感謝申し上げます、ありがとうございましたm(__)m。




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May 06, 2007

私的「萌え」論序説(1)~はじめに~



 先日参加したとあるイベント。短い時間ながらも充分に満喫したのでしたが、一点だけ引っかかった点が、それはイベントのタイトルにつけられた「萌え萌え」という言葉。その言葉に対して、どうもしっくり来ないモヤモヤとした気持ちは、イベントの感想を書くときにも影響しました。また、そのとばっちりを受けた形になったのは、「萌え萌え」だった司会のお姉さんへの表現。ちょっとまずかったかな、と思うとともに、そもそもなぜ自分が「萌え」という言葉にそこまで過剰反応したのか、不思議に思うのでした。
 ・・・というのが、これまでのお話。さて、今回のお話は・・・。


私的「萌え」論序説


はじめに


「萌え」という言葉の氾濫と私

 日本を妖怪が徘徊しています。「萌え」という妖怪が。・・・元ネタご存知でしょうか?、知っていたら知っていたで渋すぎなんですが・・・。
 とにかく、今の日本には、「萌え」という言葉が氾濫しています。2005年の流行語対象にも選ばれたこの言葉、様々な人々によって様々なシチュエーションで用いられています。一日の間で、一体何度、この言葉が発せられているのでしょうか?Yahooのブログ検索を使って調べてみました。Yahooのブログ検索を使って調べてみました。「萌え」という言葉でブログ検索すると、記事の総数で818,561件、一日以内の記事では、5,109件。また、この記事を書くきっかけになったといってもよい「萌え萌え」という言葉だと、総記事数で59,255件、一日以内の記事で371件でした(2007年5月6日23:04頃調べ)。この言葉が、相対的にどれだけ多いのかは分かりませんが、この言葉を日常的に用いている人々が、無視できない程度に存在していることは確かでしょう(・・・あまり根拠になっていないとは思いますが・・・)。


 一方、僕は、というとあまり積極的に使ってはいないと思います。その客観的な証拠として挙げると、このブログで「萌え」という言葉が登場するのは、わずか3回にすぎません。
 具体的には、今度開催されるコンサートのキャッチコピーとして、「ルーン魂で萌えあがる~ん♪」という言葉を取り上げたことが2回。そしてもう一回は、あるアニメのオープニングテーマ曲を紹介するときに、「いわゆる「萌え系アニメ」のオープニングらしい・・・」と書いたことです。

 「ルーン魂で萌えあがる~ん♪」というのは固有名詞といってもよく、自分の意思とは関係なく、そこに「萌え」という単語が入っているから、この言葉を使ったに過ぎません。また「萌え系アニメ」という言葉の場合も、そのアニメをカテゴライズする際にこの言葉を用いるのが一般的に理解されやすいかな、という判断で使ったまでに過ぎません。ですから、どちらの場合も、「萌え」という言葉を、自分の意思や感情を表すために用いたわけではありません。


 このように、僕は「萌え」というのは積極的に用いてはいない、ということができます。更に言えば、プラスの意味であれマイナスの意味であれ、「萌え」という言葉にあまり価値を置いていないんじゃないか、とも言うことができます。というか、むしろ感情的には否定的な価値の方が大きいのではないか、という気もします。そうでないと、「萌え萌え」という言葉に、そこまで過剰に反応するはずがないですから。

 でも、理屈として、「萌え」という言葉を否定的に感じる理由というのも、今まで思い浮かんでこなかった、というか、考えてこなかったのです。だから、どこか否定的な思いを残したまま放置しておき、この言葉を積極的には用いてこなかった、といえるのかもしれません。


この連載記事の目的

 お前が「萌え」という言葉を積極的に使わない、というなら、それでいいじゃないか、いちいちこんな記事を書いてんじゃない、と思うかもしれません。確かにそうかもしれません。でも、それだけで済ましていいのかという思いもあるのです。


 なぜかというと、この自分が日頃「萌え」という言葉で表現される対象に接しているからです。それなのに、「萌え」という言葉を積極的に用いないとすると、その対象をちゃんと理解できているのかという疑問も生じかねません。辛くないカレー、甘くないスイーツのように(この例えが正しいのかどうかは分かりませんが・・・)、その本質をちゃんと分かっているのかということにもなりかねません。

 また、「萌え萌えライブ」というイベントタイトルなのに、「『萌え萌え』とかじゃなくて・・・」なんて書いてしまって、果たしてよかったのかという思いも残っています(ここ)。内容としては、充分自信を持って書いてはいますが、さすがに(そのつもりはないにせよ)イベントタイトルの全否定というのはねぇ・・・。ちょっと、やりすぎかなとも思ったり、後ろめたさも感じたりしています。


 それはともかくとして、いずれの場合においても、そんな言葉を使わなくても、ちゃんとその良さを理解し、それを表現することができるぞ、と言いたいところではあります。でも、そうだとしても、なぜ「萌え」という言葉を使わないのか、また、使わなくても理解できると言い切れるのか、ということも説明する必要があります。別に説明する必要もないのかもしれませんが、自分の頭の中では理解しておきたいのです。

 こうした問題意識から、自分なりの「萌え」という言葉へのアプローチが今回の連載記事になります。そんな言葉を使わなくてもいいのではないか、という否定的に近いスタンスでは立っていながら、それにもかかわらず「萌え」の世界(・・・というのが、どこまでを指すのかも論点になりそうですが・・・)にはそれなりの程度入り込んでいる、という矛盾を、どのように説明できるのか?「萌え」という言葉に対する、自分なりのスタンスを求める思考の散策がこれから始まるのです。


 と、きれいにまとめたつもりですが、ここまででかなりの分量になって、一区切りが付いたので今回はここまでにしたいと思います。


 ただ、最後に1つだけ。この連載は、あくまでの自分のスタンスを確かめるためのものであり、他人様に対してどうこうと言うつもりは全くございません。他の人が「萌え」という言葉をどのように使っているのかは気になるところではあります。しかし、自覚的であれ無自覚的であれ、他人様がどのように用いていようと、私がとやかくいう立場にあるはずがございません。

 最初の書き出しで「妖怪」の例えを用いたので、書き終わりが「万国のオタク、団結せよ」とかいうタイプの文章だと思われるかもしれませんが、別にそんな意図はありません。他人様に向けて、どうこうと訴えかけるマニフェスト(宣言)ではなく、あくまでも、自分がこう思うという、私的な覚書きに過ぎません(遊んでいる、と言ってもいいけど)。その上で、何かトロイこと言い出しているよ、と生暖かく見てくれれば結構です。おかしいところは指摘して、くれてもいいんですけどね。自信を持って書いているわけじゃないし、あくまでも叩き台に過ぎませんから。


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May 05, 2007

あなたの好きになったものたちは きっとあなたを応援してくれる

 タイトルの言葉は、とっても昔に出逢ったもの。あのときから、自分もまわりも何もかもが、すっかり変わってしまいました。
 でも、この言葉をコピーした紙だけは、今でも持っています。そして、辛くなったときには、時々思い出して見返しています。何だかんだで、この言葉に従って、生きてきたのかもしれません。

 本当に好きになったものたちが応援してくれるのか?自分なんか応援してもらえるような価値のある人間なのか、と考えるとキリがありません。
 それでも、好きなものたちに対してみっともなくないようにしなければ・・・という思いから、立ち上がって歩くことができています。結果的は、やっぱり応援してくれていた・・・、と言えるのかな。


 自分のことが嫌いで信じられない・・・、そんなことは、いつものことなのかもしれません。
 でも、そればかりだと、まわりのこともキチンと好きになることも信じることもできないのではないか、とも思うのです。まわりのすべてが嫌いならともかくとして、大好きなものがあるのなら、それを好きだと思う自分のこともチョットずつ認める勇気も必要なのじゃないか、と考えるのです。

 一見すると、心の中は、自分に対する「嫌い」の気落ちで溢れているのかもしれません。でも、どこかに、自分への「好き」の気持ちにつながるものがあるはずなのです。僕は、それが大好きなものに対する「好き」の気持ちだと思います。その気持ちというのは、そう思う自分自身抜きには存在しえないはずだから・・・。
 だから、そこから出発するのです。そして、全部じゃなくてもいい、ほんの少しでもいいから自分のことも好きになり信じていけたら・・・、嫌いな自分も少しずつ洗い流していけるはずです(・・・そう書いていても、なかなか難しいなとは思いますけどね・・・)


 ということで、誰に対してということ関係なく、「好き」という気持ちは大切にしたいです。それは、その気持ちの直接の対象に限定されない、大きな広がりを持つ可能性をもった気持ちだと考えるからです。対象は何であれ、その気持ちを大切にすることが、自分を好きになり信じることのできる手掛りを与えてくれる、と思うのです。




 だから(・・・ってつながっていないのかもしれないけど)、「誰も私を好きにならないでほしい」というのは、たとえどんな背景から出てきたのにせよ、すごく悲しすぎて、心が痛みます。

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May 04, 2007

あんかけスパ+麻婆豆腐=?


 昨日は街にお出かけしました。・・・やっぱり人が多いですねぇ。地下鉄に乗っても、いつも以上に人であふれていました。元々の用事を済ませた後、適当にブラブラと見て歩きましたが、お昼は大須で食べました。



 あんかけスパのお店で「時次郎」という名前。店の前には、藤田まことの写真が出ています(あんかけ、時次郎、藤田まこと・・・「てなもんや三度傘」ですよね。当然、見たことはなくて知識としてしか知らないけど・・・店の中には、本人のサインらしきものが書かれた三度傘がありました)。
 ちょっと、あやしさ漂う感じですが、久しぶりにあんかけスパも悪くないかなという思いに、ちょっとした好奇心とがプラスされて、入ってみることにしました。


 あんかけスパ、好きなんですよね。知らない人には、どういうものか想像できないものかもしれませんが、名古屋名物として有名な食べ物です。味噌カツ以上にB級で、オヤジっぽい食べ物なんです(平日のお昼にあんかけスパのお店に行くと、見事にオッサンしかいない)。手軽に食べられるので、特にこれが食べたいというものが思い浮かばないときには、よく食べています(あまり当たり外れがないタイプの食べ物だし・・・)。


 さて、お店の中に入って、メニューを見ます。あんかけスパにはおきまりの定番メニューの他に、見慣れない名前のものもありました。それが「四川風マーボスパ」。実は、お店の外にもメニューが載せてあって、既にその名前を目にしていたのでした。一体どんなものだろうという好奇心も少しあったので、今回は、その好奇心に従ってみることにしました。


0705_006

 出てきたものは、写真の通りです。中央にマーボ豆腐が乗っている、あんかけスパです。
 まわりのあんかけソースをスパゲティに絡めて食べてみます。普通に美味しいです。今度はマーボ豆腐を絡めて食べてみます。こうして食べるのは初めてですが、ちゃんと美味しいです。麻婆丼なんてのもあるから、スパゲティと合わせても問題ありませんよね。最後に、ソースとマーボ豆腐と一緒に混ぜ、それをスパゲティに絡めて食べてみます。全く問題がありません。美味しいです。豆腐の歯ごたえがいい感じです。


 言葉だけで想像すると、異種格闘技的な雰囲気もするかもしれませんが、よく考えてみてください。あんかけスパも、マーボ豆腐も、ピリ辛でとろみのあるものがかかっているという点で、共通する要素がありますよね。味的には、相性が良すぎるくらい、二つを混ぜ合わせても全く違和感を感じませんでした。すごく、ふつ~に食べ進むことが出来ました。


 あんかけスパを食べたことがあって、辛口の味付けが好きな人なら、きっと試してみても大丈夫だと思います。

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May 03, 2007

たからもの、というのは…

他の人から見れば、多くの場合、その価値を理解することができず、何でもないものにすぎないのかもしれません。

 でも、たとえそうであったとしても、その当人にとっては、間違いなく、とても大切なものなのです。むしろ、だからこそ、その人にとってのたからものなのだ、とも言えるでしょう【5月4日1:00追加】そこには、かけがえのない想いが詰まっているのです。
 
 だから、そんなに簡単に手を離してはいけないのです。そして、どんなに面倒で恥ずかしくても、それを取り戻さなければならないのです。
 
 
 
♪連れていってね 手をつないで
離さないで 恋をしてる♪
(いやぁ、本当に心に染み入ります)
 
 
 
 まぁ、不注意で手を離してしまった僕が、おバカだったんですけどね(>_<。)。だからこそ、どうしても取り戻さないと…。
 
 
 …結局、無事に取り戻すことができました、よかったぁ(^o^)。
 ちなみに、「恥ずかしいなんて、人生にいらないんです」ってのは、僕には結構必要な言葉だとも思いました。
 
たからもの、というのは…

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May 02, 2007

今日は、平日?それとも休日?

今日は、平日?それとも休日?

…バスのダイヤの話です。

 始発のバスで家まで帰るつもりなのですが、何分まで待つ必要があるのでしょうかね。
 お盆と年末年始は休日ダイヤで運行、と書いてあるだけので、G.W.(ご馳走、わーいヾ(^▽^)ノ)の平日は、平日なんでしょうね、きっと…(結局、平日ダイヤでしたね)。

 そんなことを書いても、結局待ち続けるのが嫌で、始発のバスに追いつかれるところまで歩くことにしたんですけどね。

 傘を取り出し、歩いていきます。そして、こう問いかけるのです。






 「雨はいつ上がる?」










 写真は、歩いてたどり着いたバス停です。もうすぐバスが来そうなので、ここから乗ります。まぁ、ど~でもいいことですね。

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May 01, 2007

「萌え萌え」とかじゃなくて

「萌え萌え」とかじゃなくて

 東京は調布にある競輪場で開催された、Cutie Paiのステージに行ってきました。
 10分程度のステージが二回。今回はそれだけのために上京する、…自分のやることながら、よくもまぁとも思います。それでも、帰るときには来て良かったと心から思うのです。
 今回もきっと…と思いながら、東海道を東に上ります。


 さて、「萌え萌えライブ」というとても分かりやすい(…と言うより、安直な)タイトルなのですが、どちらかというと、萌え萌えなのは、アニメ声の司会のお姉さん。
 Cutie Paiのステージとは関係ないけど、このお姉さん、競輪予想のコーナーでも、予想をするオジサン相手にドジッ娘ぶりを発揮。やっぱり、こっちの方がよっぽど…、と思いました。
 ちなみに、この文脈での「萌え萌え」。私にとっては、ちっともプラスの評価じゃないんですけどね(だからといってマイナスの評価というわけでもありません:5月2日7:30追加)。別に、司会のお姉さんに悪印象を持っている訳でもありませんが…。

 そんな中でも、Cutie Paiのステージは、1ステージにつきたった三曲の短いものだったけど、いつも通りに…
…と思ったら、客層に合わせてか、キャンディーズの「年下の男の子」をもってくるあたり、当たり前だけど、手抜きないですね。
 本来ここにやって来るような初めてのお客さんも、ステージを見るために沢山集まっていて、充分盛り上がった、といっていいと思います。盛り上がりすぎた、というか、出来上がってた人もいたけど…。彼女たちも、上手く合わせて、逆にプラスに変えてたと思う(…根拠ないけど)。
 全体的に、楽しい雰囲気は出てたと思います。失礼を承知で言えば、もっと生ぬるい空気が流れると思っていました。

 逆に、いつもCutiePaiのイベントに足を運ぶ人々の方が、ちゃんと自分のスタイルで楽しめたかどうか…(僕は最初戸惑ってしまいました…まぁ、あくまでも、僕の思い込みです)。
 でも、別に無理をせず、自分のやりやすいスタイルで楽しむのが一番だと「僕は」思いました。

…と、ココまでが、一回目のステージを見た上での感想。


 二回目のステージも、一回目と同じように人が集まってききました。一回目よりも雰囲気は暖かくなっていると思います。
 ただ、途中から雨が降り出してきました。客席には屋根がないので、立ち去る人も多くいましたが、その一方で最後までステージを見ている人も少なからず存在していました(いつも来ている人は除いてもデス)。

 それが、今日のステージを象徴していた、といえるかもしれません。


セットリスト
一回目
1.Hello! Cutie Pai
2.年下の男の子
3.新しい日
二回目
1.年下の男の子
2.小っちゃな翼
3.Yell


 二回のステージに分かれていましたが、合わせて一つと考えたらいいのかもしれません。でも、衣装が替わっていましたね。本当に、手抜きないよな…。これこそが、Cutie Paiだと思います。
 二回も「年下の男の子」をやらなくても、とも思いましたが、でも結構受けていたから、アリなのかなとも思いました。きっとこういう機会でしかお目にかけることができないと思いますし…。
 「小っちゃな翼」は、こういうところでやっても無敵なくらい、最高に素敵です。


 あの場に居合わせた多くの人々にとっては、今日のステージはきっと一期一会なのかもしれません。でも、あの時間のうちのある瞬間には、多くはないのかもしれませんが決して少なくもない人々の心に、何かしらの刻まれるものが存在していたのではないか、と思うのです。
 そして、それは「萌え」という今流行りの記号によって導かれた訳ではなく、毎回毎回のステージに際して、当たり前のことを手抜きなくしかも無理なく追求していったことの結果だ、とも思いました。何も知らない分、余計な情報に左右されることなく、その本質に触れることができているのかもしれません(そのことに自覚的な人は少ないかもしれませんが)、…と言うのは、少し言い過ぎかもしれませんが…。
 だからなんだ、と言われても、そう思っただけです、としか答えるしかありませんが、そんなことを考えたのでした。


 確かに、時間は短かったかもしれませんが、中身はギュッと凝縮されていて、しかもその本質も再認識できた、貴重な機会になりました。


(追記) その1  技術的なお詫びです。  この記事、一度投稿したのですが、少し携帯電話の方から編集したら、なぜか後半部分が削除されてしまいました。ですので、再度同じ記事を投稿した上で、前に投稿した記事を削除しました。お見苦しい形になってしまい、大変申し訳ありませんでした(5月2日7:30)






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